AIで「作る速さ」が横並びになった世界で、むき出しになるもの | プロダクトマネージャー不要論と、最後に残る「捨てる判断」
バイブコーディングでエンジニアの生産性が跳ね上がったとき、いちばん追い詰められたのはプロダクトマネージャーだった——シリコンバレーで起きているこの皮肉な現象から、対話は始まった。AIが「作る速さ」を肩代わりしたあとに残るものは何か。プロダクトマネージャー不要論を入り口に、目利きと「捨てる判断」にたどり着くまでの記録。
💡 Key Takeaway
AIが肩代わりしたのは「作るための段取り」だけだった。残ったのは「何を捨て、何を残すか」という判断で、作れる量が増えるほどこの判断の総量はむしろ膨れ上がる。だからAnthropicはプロダクトマネージャーを減らすどころか増やし、エンジニアに「ミニPM」を兼ねさせる試験運用を始めた。価値は段取りの速さから、未知を既知で割る目利き——異種の経験の引き出し——へ移っていく。そして広げる(好奇心)・掘る(執着)・捨てる(判断)の三角形が、AI時代に効く。
問い | たどり着いた見方 |
|---|---|
「自分でやったほうが早い」なら管理は要らないのでは | 消えたのは"作るための段取り"だけ。"決める管理"はむしろ濃くなる |
昔のプロダクトマネージャーは判断していなかったのか | していた。段取りに埋もれて見えなかっただけ。事務が消え、判断がむき出しに |
仕事は判断力に集約されるのか | 集約ではなく選別。判断は観察・センス・対人という"いい入力"とセットで効く |
段取り下手でもセンスがあれば価値は上がるか | 上がる。ただし「人を動かす段取り」だけは別腕として残る |
価値が上がるのは経験を積んだ世代か | 条件付き。異種の経験を持ち、かつ今も更新している人 |
「自分でやったほうが早い」は、どこまで正しいか
プロダクトマネージャーの存在意義がなくなる、というのは、AIの性能が上がる中で一番あり得そうな視点だった。管理するより自分でやったほうが早くなったんだから、管理は要らないやん、という流れだよね。
— その「速くなった」は、仕事のどの部分の話なのか。
この直感は、半分当たっている。作ることに付随する段取り——進捗管理、タスクの割り振り、仕様の取りまとめ——については完全に正しい。誰かに頼んで、待って、できあがりを確認して、ずれていたら直してもらう。この往復のコストは、作るのが遅かったから生まれていた。作るのが速くなれば、往復そのものが消える。判断と実装が一人の頭に収まるサイズなら、間に管理を挟むより自分で手を動かしたほうが速い。これは間違いなく正しい。
ただ、もとになった議論が言っているのは「ボトルネックが消えた」ではなく「移動した」だった。シリコンバレーで実際に起きているのは、エンジニアの生産性が跳ね上がった結果、作れる量が膨れ上がり、それを誰かが捌ききれなくなる、という現象だ。作る部分が解けたぶん、詰まる場所が別のところへずれた。
「自分でやったほうが早い」が綺麗に成立するのは、判断と実装が一人の頭に収まる規模まで、という条件がつく。ソロで企画も設計も実装も全部兼ねていると、この感覚が当たり前になる。だが意思決定の面積が100人分に広がると、3倍速で手を動かしても、物理的に一人では捌けない。そこで初めて「決める専任」が要る。つまり「やったほうが早い」は規模に依存した真理で、規模を超えた瞬間にひっくり返る。直感が当たって見えるのは、自分のスケールを世界全体に投影しているからかもしれない、というのが最初の補正だった。
ボトルネックは消えたのではなく、移動した
作れる量が3倍になっても、チームの人数は変わらない。膨れ上がった成果物を、限られた人数で捌くことになる。
— 速くなったのは「書く」ことか、それとも「決める」ことか。
仕事を「書く速さ」と「決める速さ」の二軸に分けると、見え方が一段はっきりする。ある観察では、AIが速くしたのは前者だけで、残った後者——何を作るか、何を捨てるか、どのリスクを飲むか、利害をどう調整するか——が、いまのボトルネックになっている、と整理されていた。作る工程が解けたぶん、決める工程に負荷が集中する。しかも作れる量が増えたぶん、決める対象の数そのものが増える。残った狭い工程に、増えた水が一気に流れ込む。だから管理側が「押しつぶされそう」になる。
これは推測ではなく、最前線の企業が実際に直面している現象だ。Anthropicのグロース責任者アモル・アヴァサレ氏は、人気ポッドキャスト「Lenny's Podcast」で、Claude Codeのようなツールの恩恵を最も受けているのはエンジニア自身で、その生産性は少なくとも2〜3倍に高まっていると語った。一方でプロダクトマネージャーやデザイナーの生産性は伸びていない。同じチーム規模で、はるかに巨大化したエンジニアリングの出力を支える羽目になり、「ただただ押しつぶされそうな状態」になっている、と。
注目すべきは、その解決策の方向だ。同社はプロダクトマネージャーを減らすどころか採用を増やしている。アヴァサレ氏は、エンジニアが指数関数的に生産的になるなら、プロダクトマネージャー対エンジニアの比率はむしろ逆転する——エンジニアよりプロダクトマネージャーが多くなる——可能性すらある、と語った。「作るための管理」は溶け、「決めるための管理」は濃くなる。直感とは逆の方向に、現場は動いている。ここが、最初の「管理は要らないやん」という見立てと、いちばん食い違う部分だった。
「プロダクトエンジニア」という新しい職種
管理が濃くなるなら、その濃い部分は誰が担うのか。
— 「決める人」と「作る人」は、これからも分かれたままなのか。
ここで現れているのが「プロダクトエンジニア」という新しい職種だ。この呼び名自体はAnthropic発ではなく、2025年のAIカンファレンス「HumanX」で、ZencoderのCEOアンドリュー・フィレフ氏が、バイブコーディングの普及によってプロダクトマネージャーとソフトウェアエンジニアを融合したハイブリッド職が生まれつつある、と語ったのが下敷きになっている。「作る人」と「まとめる人」の境界が消えていく、という見立てだ。
Anthropicはすでに試験運用に入っている。アヴァサレ氏によれば、エンジニアの工数が2週間以内で済む案件については、そのエンジニアが事実上プロダクトマネージャーの責任も負う。法務部門との連携や、社内の関係各所との折衝まで担う「ミニPM」化だ。「これは今後より多くの企業が採るアプローチになる」と同氏は予測している。
同じ流れは、Claude Codeの製品責任者Cat Wu氏の働き方にも表れている。デザイナーやプロダクトマネージャーにも自分で直接コードを変更することを奨励し、数分おきにユーザーの声を聞いて改善を回す。プロダクトマネージャーが「軽くプロトタイプを触る」のではなく、実装を進めてプルリクエストを出すレベルで関わる。創業者の一人ボリス・チャーニー氏は、"ソフトウェアエンジニア"という肩書きは、いずれ"ビルダー"か"プロダクトマネージャー"に置き換わるだろう、とまで言っている。
ただし、ここには温度差のある三つの立場がある。整理するとこうなる。
立場 | 主張 | 含意 |
|---|---|---|
消滅論 | プロダクトマネージャーは存在意義を失う。 | 作る速度が上がれば、まとめ役は不要になる。 |
増員論 | 比率を逆転させ、むしろ増やす。 | 決める負荷が増えたぶん、決める人を増やす。 |
融合論 | 消滅でも増員でもなく、エンジニアと溶け合う。 | 「決める」と「作る」を一人が兼ねる。 |
最初の見立て「管理は要らない」は、いちばん上の消滅論に近い。だが現場で実際に採られているのは、下の二つ——増やすか、溶かすか——だった。共通しているのは、消えたのが「作るための管理」であって、「決めるための判断」はむしろ前面に出てきている、という構造だ。
段取りに埋もれていた「決める」がむき出しになる
つまり、今までのプロダクトマネージャーは、捨てる判断や決める判断をあまり必要としない仕事だったってこと?
— 判断が少なかったのか、それとも判断が見えなかったのか。
そこは逆だ。昔のプロダクトマネージャーも、決める判断はずっとしていた。ただそれが段取りの仕事に埋もれて見えにくかった。一日を雑に分ければ、調整・段取りが体感で八割、本丸の判断が二割、くらいの配分だったろう。会議のセット、仕様書き、進捗の催促、部署間の伝言ゲーム。この調整作業が時間の大半を食っていて、「で、どっちの案で行く?」という肝心の判断は、その合間にやっていた。判断が少なかったのではなく、判断にたどり着くまでの事務が多すぎた。
AIが消したのは、その八割のほうだ。すると、薄まって見えなくなっていた二割の判断だけが残る。割合で言えば二割からほぼ全部に。濃度が一気に上がる。しかも作れる量が増えるぶん、決める対象の数そのものも増える。濃度も量も同時に上がるから、「押しつぶされそう」になる。これは怠慢でも能力不足でもなく、構造的にそうなる。
実装量が増えるほど、プロダクトマネージャーは「仕様を書く人」から「捨てる範囲・リスク・意思決定のログを管理する人」へ寄っていく、という見立てもある。価値の源泉が、段取りから「目利き+責任」へ移る、ということだ。
ここが残酷なのは、段取りが得意だっただけの人は、得意分野を丸ごと肩代わりされるということ。逆に、調整の裏でちゃんと筋のいい判断を下していた人は、ノイズが消えて真価がむき出しになる。同じ「プロダクトマネージャー」という肩書きでも、AI後に価値が上がる人と消える人にくっきり割れる。「存在意義がなくなる」説が当たるのは前者で、後者にはむしろ追い風——という二極化が、たぶん実態にいちばん近い。一つの職種の中で、評価が真っ二つに割れていく。
判断は、いい入力とセットでしか効かない
人が判断することが圧倒的に増えてくるなら、人の仕事の多くは、判断力を高く保つことに集約されそう。
— 判断力だけを磨けば足りるのか。
方向は合っている。ただ、判断は選択肢が目の前に並んでから選ぶだけの作業ではない。何を作り、何を捨てるかを判断するには、その手前に「世界を観察する」「筋のいい選択肢を立てる」「人の機微を読む」がいる。並んだ選択肢から選ぶのは判断の最後の一手で、その手前の仕込みのほうがずっと重い。
アヴァサレ氏も、モデルに依然として欠けているのは「常識」と「ステークホルダーの感情理解(EQ)」だと語っていた。つまりAI後に残るのは、純粋な判断力だけではなく、いい判断を生む入力——観察・センス・対人——とセットだ。机上で選ぶ力ではなく、選ぶ手前に良い候補を立てられる力。
AIが肩代わりするもの | 人間に残るもの |
|---|---|
コードを書く・文書化する | 何を作り、何を捨てるかの判断 |
タスク分解・進捗追跡・議事録 | 観察とセンス(いい選択肢を立てる力) |
要求定義・データ分析の下ごしらえ | 常識・相手の機微の理解(EQ) |
試作を一晩で量産する | どれが「体験として成立」しているかを見抜く目 |
そして、全員が判断業に一本化されるわけでもない。判断の総量は爆発的に増えるが、それが全人類に均等配分されるのではなく、判断を引き受けられる人に集中する。手を動かす速さが横並びになるほど、「責任を取って決める人」と「決めてもらって作る人」の差は開く。集約というより、選別に近い。決める力のある人に仕事と価値が寄り、ない人は「作ってもらった選択肢を実行する」側に回る。同じ判断ブームの中で、上がる人と沈む人が分かれていく。
残る段取りは「人を動かす」ところ
逆に、段取りが下手でも、センスが良くて判断力が高い人は、価値が高まっていくって話か。
— AIに委任できる段取りと、できない段取りの境目はどこか。
その読みでほぼ合っている。AIが「段取りの下手さ」を肩代わりしてくれるから、いままで要領の悪さで埋もれていた判断力が表に出てくる。「センスはあるのに段取りが苦手で評価されなかった人」が報われる構造になりつつある、というのは確かにある。
ただ、ひとつ釘を刺すなら、それが成立するのは「段取りがAIに委任できる種類のものである限り」だ。委任できる段取り——タスク分解、スケジュール引き、議事録、進捗追跡、仕様の文書化——は、下手でも丸投げできる。だが委任しきれない段取りがひとつ残る。「人に動いてもらう」段取りだ。判断を下したあと、それを人や組織に通して実行に移す部分——根回し、信頼、巻き込み。ここはまだ人間側に残る。
技術が分かり、要求を整理し、チームを動かせる人材の価値は、むしろこれから上がっていく、という観測もある。「チームを動かせる」がポイントで、これは判断とは別腕の能力だ。
そして作る・決めるが速くなるほど、ボトルネックは「人の合意」に寄っていく。技術的に作れる、論理的に正しい、まではどんどん速くなった。なのに最後に詰まるのは「あの部署が首を縦に振るか」「役員が腹落ちするか」のところだ。日本の中小企業を引き合いに、一案件に一エンジニア、たまに営業が首を突っ込んでくる、という現場の絵が語られていたが、AIで作る部分が解けても、あの人間どうしの摩擦は最後まで残る。むしろ他が速くなったぶん、相対的にそこが一番遅い工程として目立つようになる。
しかも、根回しと人心掌握こそAIが最も苦手な領域だ。相手の機微を読み、信頼を貯め、貸し借りを設計し、タイミングを計る。データで最適化できる種類のものではない。模倣はできても、責任を持って関係を背負うことはできない。だから判断力と並んで、これは最後まで人間に残る二本柱になる。
一方で、ソロで判断から実行までを自分で完結させる働き方は、この「人を動かす段取り」自体が要らない。判断して、自分で実装に流して、結果を確かめる。判断と実行の間に他人が挟まらないから、"段取り下手でもセンスで勝てる"が、最も純粋に成立する場所でもある。ただしそれは、根回し力を鍛える機会がない、という裏返しでもある。一人で完結する働き方は、人心掌握の筋トレをしないまま進む。旗を一人で立てているあいだは要らないが、その旗の下に人が集まり始めた瞬間、急に「人をどう動かすか」が要る。要る局面が来たときに筋がついていない——これだけは頭の隅に置いておく価値がある。
目利きは、過去の体験を引き出しにして未知を割る
見たことも、やったこともないプロダクトの判断を、何度も何度も下す必要がある。面白さはめっちゃあるけど、目のある人とない人の差は大きく開きそうだ。
— なぜ目利きは「見たことのないもの」を判断できるのか。
天才の勘ではない。過去の大量の"やったこと"が、原理の引き出しになっているからだ。見たことのないものを、見たことのあるものの組み合わせとして見抜ける。未知を、既知で割る。だから、まったく新しいプロダクトを前にしても、「これはあの構造に似ている」「ここは別物だ」と当たりをつけられる。引き出しの数と種類が多いほど、初見のものを速く正確に割れる。
ジョブズがAI時代にいたら強かっただろう。理由はコードが書けるからではない。あの人の強みが「捨てる判断」「観察・センス」「人心掌握」——AI後に残るものの集合——だったからだ。製品ラインを切り、ボタンを消し、機能を足さない。千個のNoを言う。自分でコードもデザインも書かないのに、出てきたものの良し悪しを断言できた。手を動かさず、目利きだけで価値を出す。AI時代のプロダクトマネージャー像そのものだ。
ただし、目利きを支えていた周辺は剥がれる。ジョブズの伝説的なプロトタイプ判断は、試作が高かった時代に「何度もやり直させる胆力」があって成立していた。AIで誰でも一晩に試作を量産できると、その胆力の価値は下がる。残るのは純粋に「どっちが良いか分かる目」だけだ。立場では誤魔化せなくなる。量産された候補の海から一発で「これ」を抜ける人と、「全部それなりに良く見える」人の差が、容赦なく出る。
引き出しは、深さより種類で効く。一つの分野を三十年やった専門家より、複数を横断して翻訳できる人のほうが、未知の領域では強い。私の場合、アパレルのディレクション、Web/UI、ロボティクスと畑違いを横断してきたことが、Motion UXという誰もやっていない領域での判断の燃料になっている。ロボットの動きを、布の落ち感や、車の挙動や、UIの気持ちよさに翻訳できる。Motion UXが空いているのは、ロボティクスとUXとデザインを同じ頭で見られる人がほぼいないからだ。横断の幅が、ここでは武器になる。
価値が上がるのは「更新し続ける人」
AI時代に価値が高まるのは、いろんな体験をしてきた世代——年取った人たち——かもしれない。
— 価値を上げるのは年齢か、それとも姿勢か。
半分は本気でそうだと思う。ただ、上がるのは「年を取った人」ではなく「異種の引き出しを持ち、かつ今も更新している人」だ。経験を積んだ世代はその条件を満たしやすいだけで、年齢そのものは資産でも保証でもない。同じ年数を生きても、二極化する。
価値が上がる側 | 価値が下がる側 |
|---|---|
異種の経験を横断している | 一つの畑だけを深く掘ってきた |
新しい道具に自分から触りにいく | 慣れたやり方で止まっている |
経験が「引き出し」になっている | 経験が「固定観念」になっている |
前提が変わることを面白がる | 前提が変わることを認めにくい |
厄介なのは、本人は経験を積んだつもりでいるから、更新が止まっていることに気づきにくいことだ。"昔のやり方が通用しない"を一番認めにくいのが、成功体験のある人だったりする。蓄積には時間がかかるから若者には不利、更新は身軽さで若者が有利。両方が揃った人がいちばん強く、それは年齢ではなく姿勢で決まる。
だから好奇心は、もはや「あったらいいね」枠ではなく、能力の供給源そのものになる。前提が頻繁に変わる世界では、更新し続けられること自体がいちばんの能力だ。蓄積があっても更新をやめれば数年で重りに変わり、好奇心がエンジンとして回り続ける人は引き出しが増え続ける。好奇心は、能力を維持ではなく複利で増やす装置になった。あるプロダクトリーダーが「AI時代はスキルを磨くことより、自分から動く力を育てるほうが大事」と語っていたのも同じ筋で、スキルは陳腐化するが、「気になったら自分で触りにいく」性質は陳腐化しない。
広げる・掘る・捨てるの三角形
同じやり方で止まってる人は沈む。要るのは好奇心と執着。そして——広げたあとに、要らないものを捨てる判断だよね。
— 好奇心と執着だけでは、なぜ足りないのか。
ここで三つ目が入って、ようやく完成形になる。AI時代に効く力は、三つの頂点を持つ三角形だ。
広げる(好奇心):新しい道具に触れ、畑違いに首を突っ込む。引き出しの"種類"を増やす力。
掘る(執着):一つを諦めず、成立させきる。引き出しの"深さ"と完成を作る力。
捨てる(判断):抱えすぎを断つ。どれを掘り切り、どれを手放すかを決める力。
好奇心だけだと、触っては飽きてを繰り返して何も完成しない。執着だけだと、一つに固執して時代に取り残される。そして捨てる判断がないと、好奇心と執着の両方が暴走する。広げれば必ず"抱えすぎ"が起きるから、どれを掘り切ってどれを手放すかを決める力が要る。捨てる判断は、好奇心と執着の暴走を止めるブレーキだ。
しかも、この三つは話を一周して最初に戻る。AIが速くしたのは「書く速さ」で、残ったのは「決める速さ=捨てる判断」だった。三角形の頂点の一つ「捨てる」は、冒頭のプロダクトマネージャーの話とそのまま地続きだ。「決めるための管理が濃くなる」も、「目利き」も、「捨てる判断」も、結局は同じ一点を別の角度から見ているにすぎない。
捨てがいちばん難しいのは、掘ったものほど捨てにくいからだ。好奇心で広げるのはタダだが、執着して掘ったものには時間と愛着がこもっている。サンクコスト。「ここまでやったのに」が、捨てを鈍らせる。だから執着が強い人ほど、捨てる判断には冷たさが要る。掘る熱さと、捨てる冷たさを、同じ頭に同居させる——これがいちばんきつい。ジョブズが千個のNoを言えたのも、熱量と非情さが同居していたからだ。
体験の成立を最優先にする、という私の原則も、構造はこれと同じだ。広げて掘った中から、体験が成立しているものだけを残す。何を捨てるかの基準そのものだ。コーヒーカップを諦めてブロックに切り替えたのも、専門特化のポジションを手放したのも、すべて捨てる判断だった。掘ったものを手放してきた。作る速さはAIで誰でも横並びになるが、何を捨てるかの判断基準は、経験がないと自信を持って下せない。だからこそ、ここに差が出る。
AIは「作る速さ」を肩代わりした。
何を捨てるかは、肩代わりしない。
差が出るのは、そこだ。
